ベッドはそれまでは、レンタルの手動ギヤツヂで、ギヤツヂアップのたびに奥さんは肩や手の痛みを訴えられていたのですが、電動ギヤツヂベッド3モーターを給付してもらったので、奥さんは介護がずいぶん楽になったと喜んでいました。
訪問のたびに町内を車イスで散歩するようになりました。
嬉しくて、これこそOT冥利につきると感動しました。
思わず“今までの君は間違いじゃない"というだれかの歌を口ずさんでいました。
関わり始めて2年目の9月に訪問した時、奥さんが「毛利さん、私北海道旅行に行こうと思いよるのです。
子どもが誘ってくれて、1回も行ったことないし、主人もこんなに調子がよくなったので。
私は「せっかくですから、ぜひ行ったらどうですか。
お孫さんもいて心強いし、私も家が近いので、のぞきますから」と言うと、確信が持てたのか、[じゃあ、行ってきます」と安心した顔で答えました。
4泊5日の北海道旅行を満喫してきたのでした。
もちろん、丸山さんに何事もなかったのは言うまでもありません。
お孫さんのお陰です。
当ステーションの在宅サーピスを利用している人たちで遠足に行く計画を立てました。
もちろん丸山さんも誘いました。
最初、奥さんも「主人なんか行っても、どこに来とるやら、何しよるやらわからんから」と乗り気でなかったのですが、半ば強引に誘いました。
それが、現地に着き、いざ釣りを始めると、丸山さんも奥さんも、我を忘れて無我夢中で、釣っていました。
何枚も記念撮影をしました。
その写真ができあがってからのことです。
それまで丸山さんは、鏡を見ても、また自分の写真を見ても、「これはどこのおじいさんじゃろか?」と自己認識できませんでした。
それが、この頃からは、自分の写真を見て「ああ、これは私ですな」と言うようになったのです。
また、奥さんのことも「かあちゃん」と呼んでいたのが、「これは私の家内です」とも言うようになりました。
意思の疎通も、日常生活ではほとんど支障がなくなりました。
そこで始めたのが、デコパージュです。
写真を切り抜いたり、チラシ広告を切り取ったり、1日飽きることなく車イスに座り“仕事"をするようになりました。
この時は、見や動物園への遠足などの行事に参加するようになりました。
このように、少なくとも私や奥さんに対しては慣れ、いろいろな会話なども楽しめるようになっていましたが、他のサービス、例えばホームヘルプなどは丸山さんはもちろん、奥さんも受け入れようとはしませんでした。
というよりは、現状で満足といった感じなのでした。
事実、私も、また例の主治医も丸山さんの最初の状態から思えば、十分だと思っていました。
そんな日がしばらく続いたある訪問目、奥さんが私に、「毛利さん、私、最近足がむくむのです」と言いました。
すぐ私は泌尿器科の受診を勧めました。
丸山さんのショートステイの段取りをし、診察したところ、緊急入院を要するほどの重度の腎臓疾患を起こしていたのです。
あれほど元気だった人が、なんと入院10日で帰らぬ人となってしまったのです。
お通夜に行きましたが、今までの思い出や、これからの丸山さんのことを思うと涙がこぼれました。
奥さんの急逝で、やむを得ず老健入所、その後は特別養護老人ホームへの入所という形で、丸山さんとの公的な関わりは終わりました。
息子さんには、「ぜひ、在宅で見て上げてください」と言いましたが、「仕事が多忙であるため見られない」とのことでした。
それぞれ家庭には事情があるのでしょうが、何とも言えない複雑な心境でした。
が、それ以上踏み込むことはできませんでした。
私にできることは、たまに施設に行って面会することくらいです。
悲しいかな、今の大半の施設が“集団処遇"であるため、丸山さんの表情や心は、徐々に元のいらだった状態に戻っていきました。
しばらくしてその状態のまま亡くなりました。
リハビリとは、ケアとは私は、リハビリもケアも極論すれば表裏一体のものだと思っています。
もちろん、これは全く私の個人的見解ですが、リハビリというのは、全人的復権だ、なんて難しいことは言いません。
ケアが、介助・介護なんて言いません。
ここで「ケア」を例にあげて私見を述べます。
ケアという言葉が使われる場面は、何も老人や障害者に対してだけではありません。
私はよくテレビを見ますが、そのテレピのCMに出てくるではありませんか。
そうです、化粧品やシャンプー、リンスなどのCMです。
「スキンケア」「ヘアケア」って。
これらのCMのキャッチフレーズでこう言っているでしょう。
「肌つやつや・いきいき」「髪つやつや・いきいき」って。
どうです、お気づきになりましたか。
老人や障害者に使われるのと同じ「ケア」という言葉じゃないですか。
私はこう思うのです。
「なんだ! ケアっていうのはつまり、『つやつや・いきいき』のことなのだ」と。
それは広義でのリハビリの究極の目標でもあるのです。
PTが運動療法をする、OTがアクティピティやAD1訓練をするのも、要はその方たちが、たとえ障害を持っても神様や両親から与えられた人生をつやつや・いきいきと、楽しく有意義に過ごすための、ほんの一部の手段・方法・援助であり、お手伝いに過ぎないのです。
もっとも、広い視点で見たときには、“関わる人全てが、リハピリスタッフであり、ケアスタッフ"なのではないでしょうか。
痴呆の方たちにこそ、どんな薬よりも、またどんな療法よりも、こういった関わり=ケアこそが大切なのではないでしょうか。
ぼくが老人介護に関わることになってというよりも、お年寄りと遊ぶようになって、もう10年になろうとしている。
ぜか、よく間違えられる)、働きながら看護学校へ通う勤労学生だったのだ。
もちろん、成績は悪く職場で婦長には呼ばれ、学校では担任に怒られる毎日を送っていた。
2人とも顔を見る度に、fA君を見習いなさい」と言っていた。
A君とは、同じ病院から同じクラスに通う、ぼくよりちょっといい男だ。
いつも一緒に遊んでばかりいたのに、成績がいいのはとても不思議だった。
どこの学校にも二物を与えられた人はいるものだ。
それに比べぼくは、学院始まって以来の問題児と言われていたらしいが、それでも学校は楽しかったので休まず、通った。
なぜなら、女の子ばかりで毎日がハーレム状態だったからだ。
でも、残念ながらモテはしなかった。
なぜ、なら、A君がいたから。
そんなぼくでも、心配だった資格試験には見事一発で合格した。
これには、鬼のような担任も、魔女のような婦長も、ことのほか喜んでいた。
未だに奇跡と言い継がれているらしいのだが。
いつも一番後ろを走っていたぼくが、みんなに追いつきゴールインし、新たなスタートラインに立ったのだから、なによりぼく自身がすごく嬉しかった。
「ょうし、これからが勝負だぜ!」と妙に気合いが入った。
なんとか卒業して看護人になったのだが、ハーレムから去った後の寂しさがあってか、ボーッとした毎日が続いた。
学校へ行っていた時間帯を、閉鎖された病棟の中でどう過ごせばいいのかわからなかったのだと思う。
学生時代にはない感じだった。
そんなある日、「ここにいる患者さんも、自分と同じような思いでいるのかもしれない」とふと,思った。
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